汚いのを受け入れる

 

人間はまぁそりゃ汚いもんだ。

顔も体も持ち物もばい菌だらけなわけだし。

 

 

人の世も汚いもんだ。

それは頭のいい人より頭の悪い人が多いし、利口な人が得をするようになっている。

だからといって利口な奴が悪いのではなくて、たとえ頭の悪い人であっても自分より馬鹿な人を騙して少しでも得をしようとするのであるから仕方ないのである。

そして騙された人も、より弱いものを見つけて得を得ようとするからはやはり世の中は汚くなる。しかも、それは暴力や犯罪など理不尽に近い形で現れるから利口な奴よりたちが悪い場合も多い。

 

 

人は少しでも損をしたくない。というのが根本にあるのだ。

しかし、傷つきたくないから、損をしたくないと思ったらもう出家するか滅菌室みたいな無味無臭なところで生活するしかないのである。

 

世間では1+1=2にならないのである。

油断すれば、与えた分も返ってこない。

1あるところに1を加えても1.5になれば幸いである。

こういった現実を受け入れられないと、とかく人の世は住みにくいと思う。いい人ならなおさら。

ある新入社員のうちはどれだけ頑張っても

1+1=1.1かもしれないが、

頑張って頑張って、あるポジションにまで成り上がると今度は出社して指示して座ってるだけで

1+1=30

になるのである。

 

だから、”世の中は汚い”ことを受け入れなければならない。

むしろ受け入れたら随分と楽になる。

きれいだと思っていたら傷つくことの方が多い。

ボクシングでいざ戦う時の痛みよりも、ふいに風呂場で転んだ時の痛みのほうが痛いのである。

 理想としては”平和が一番”にもかかわらず

世界では戦争や飢餓が絶えず、誰かが武器を持つとみんな武器を持たざるを得ないのと同じである。

 

俺にとって”生きるということは戦うこと”

という言葉は、なんだか受け入れがたく悲しく聞こえたけれど

ずばり包み隠さず世の中で生きることを、容赦なく端的に表しているのかもしれないなぁ。

そういう意味で悪い奴ほど出世するとか悪い奴ほど儲かるというのもある面では正しい。

いい人ほど損をする。まじめな人ほど馬鹿を見るというのもある面では正しい。

 

こういった現実を

「まさに世紀の大発見だ!!」

と思ってる俺がいる一方で

「当たり前のことを今更。なにを堂々と言ってるんだ・・・?」

と思ってる人がいるほど格差があるのが

世の中の常

である。

 

汚いから得をすることもあれば損をすることもある。それでいいのである。